モノが余ってるとき

こんにちは、launcher3 の記事が少しアクセス数増えてて嬉しかった。 やはり、まだ名前が新しいアプリ()で記事書いてる人が少ないから検索したら見つかりやすいのかな?わかんないけど。

完全に独り言なんですが、モノ、時間とかも含めて、余ってるって表現できること全てにおいて、余ってる時ってその貴重さに気づかないなぁと最近思った。

冬休みに課された大学の課題は少しあって、数は大したことないんだけど、短時間じゃできないものが多くて、年末のうちから始めておかなきゃいけなかったわけです。これがどれも締め切りが来週の月曜だから、一週間切る今週の頭まで余裕ぶっこいてたのでした。
年末、クリスマスとか、サークルの大きいイベントがあったから忙しかったと言えば忙しかったけど、空いてる時間はたくさんあった。毎日夜は1時くらいには寝て朝11時とかに起きてたし。とにかく寝る時間も多い、ゲームしてたり、ぼけっとしてる時間がすごく多くて、大掃除とか片づけもせず、年明ける前からグダグダ過ごしてた。

そのとき正直自分でも、「時間余ってるな」って思ってたんだけど、後先のことを考えて動けなかった。僕の持ってる一番くだらないポリシーの「明日できることは明日やる」とかいうのがその、早めに出来ることを片づけておこうって気持ちを邪魔してるみたいだから、この明日を今に変えないといけないんだなって、このギリギリに追い込まれてからやっと実感した。
そう、ここまでこないと、当時の時間を余してる状況の貴重さがわからないんだよね、その時間がある時は余ってることには気づいてもその希有さに気づいてない。

多分これは最初に書いたとおり、お金とか、服とか、一人暮らし始める前の部屋と家の広さとか、何でも良いんだけど、苦労して始めてそれらの大事さに気づくんだろうね。
恋人や友人もそうだと思うんだよね。愛が余るってのも変だけど、余ってるか足りないかの判定なら意外と余ってる人って結構いるんじゃないかな。「お互いが会いたいと思ったときに会う」なんて、会わなくて良いときは愛が余ってるってことなんじゃないかな、なーんて。

あーあ、英語のレポートと実験のレポート両方ともちゃんと書かなきゃなぁ、大変だなぁ。自分で首を絞めてたのが、なんとも言えない後悔だなぁ。

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