ポエマーっぽい文章①

こんにちは。急に寒くなったからか、風邪をひきました。花粉症みたいな症状から悪化したイメージ。あなたの風邪はどこから?私は鼻から。

さて、今日は意味もなく、ポエマーっぽい文章を投下してみます。高校3年生のとき、予備校でお世話になった先生の話を参考にしています。

 

…人は太古の昔から争いを続けてきた。おそらくヒトという生命のDNAに刻み込まれた避けられない本能による行動の表れなのだろう。他の動物でここまで同種族間で争う場合はまず無いのではないだろうか。どんなに獰猛で欲張りな動物でも、自らの行動範囲を必要以上に広げたり、大群(軍)をもってして隣国や他地域まで王の名声を轟かせようなどということは考えなかっただろう。

それに対し人間はどうだろうか。ヒトという生物が世界中各地で生物ヒエラルキーの頂点に居座っていることを考えれば、遥か昔、まだ大陸が一つでありパンゲアなどと呼ばれていた時代にすでに人間の祖先となる生物がおり、各地に移動していたのだと考えられる。大陸分断後も常に新しい地域を求め、領土拡大を欲し続け、海を渡り山を越え、行く先々の文明よりも自分たちの方が優れた部族であることを示そうと戦い続けてきたのだった。

…そしてしばらく時が過ぎ、大航海時代という時代が訪れる。この時代は大きく科学が進歩し、文明の象徴ともいえる3大発明と言われる発明品が登場した。いわゆる「羅針盤」、「火薬」、「グーテンベルクの活版印刷術」である。印刷術以外の2つは、大航海時代と呼ぶにふさわしい、時代の産物と言えるだろう。まさに当時のヨーロッパの強豪国はこぞって植民地を求め、軍を整備し、船を整備し、いよいよ海外進出を図っていた。

人間の闘争心がむき出しになっていた時代、理性の利かない時代であったのだ。彼らはあろうことか羅針盤をもって船を操り、火薬をもって武器を作り、他国の文明を破壊し支配するために文明の利器を悪用したのだ。彼らの正義はキリスト教であり、その教えを理解できないものは人間ではないなどと、本当に勝手極まりない大義を抱え、南米やアフリカを中心に植民地支配を開始したのだ。キリスト教がどうこうという話ではなく、人間らしい行動とは何かということの本質を考えることをやめてしまっていたのだ。

武力の「武」の字は、どういう意味を持つだろうか。形としては、止めるという文字と矛がまえで構成されている。矛を止める力と書いて武力と読むのである。大航海時代はどうであったのか。武器を手に海を渡り、武力をもってしてエゴイズムを同じ人間にぶつけ支配していたのだ。こんなことがあっていいのだろうか。その非道さに気づくまで、人間はどれだけの時間がかかったのだろうか。

それでも人間は争い続ける。戦争はなくならない。戦った後に残るのは憎しみだけだとようやく人間たちは気づき始めた。もう植民地支配のような、武力でもって弱きものを制するような行為はもう見られなくなった…ように見えたが実際はどうだろうか。弱き国を強き国が科学の力で物理的に圧倒しつづけているではないか。それは現在、戦争と呼ばれているものだ。今でも戦争に勝つことで、他国を支配しようとしているのだ。核の話1つをとってもそうだ。なぜ強い国たちが核を保有するのが当たり前のように許され、弱い国が持ってはいけないのか。他国の、それも遠く離れた他国の所有権までもを侵害する行為が、なぜ強い国だけに許されているのか。人間は平等には生きられない。そう結論づけるしかないのだろうか。

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