ポエマーっぽい文章②

こんにちは、風邪が治りそうです。ポエマーっぽい文章の第2弾を放つ。この話、元ネタをどこで読んだか覚えていない。

 

「絶望」という言葉の意味を知っているだろうか。

よく新入生で-新入生に限らず大学生はよく口にするが-すぐに「あぁもう絶望だわ~」などとこぼす人間がいるが、この「絶望」という言葉の意味を深く考えたことがあるだろうか。…新明解国語辞典にはこう書かれている。”希望を全く失うこと、もしくは希望が全くなくなること”と。果たして一体それはどんな状態なのだろうか。

こんな話がある。ガラス瓶と一匹の蠅の話だ。あるとき一匹の蠅が捕らえられ、底を抜いた十分な大きさのガラス瓶に透明な蓋をされて閉じ込められてしまった。閉じ込められてからすぐのうちは、蠅は必死に外へ逃げようとのたうち回っていた。瓶が透明であることから、彼は捕らえられたものの簡単に逃げられると思っていたのだ。しかしそのうち自身の力ではどうにもならない透明な壁と天井があることを悟り、逃げられないのだと考えるようになる。段々と蠅は動かなくなる。動き回っていれば出られるのではないかという当初の希望が少しずつ薄れていき、最後には動かなくなってしまう。死んでいるわけでもなく、ただ手をすり足をするだけで、脱出をあきらめてしまう。この時、捕獲者が蓋をこっそり外すとどうなるだろうか。

蓋を外され外に逃げられる状態になってもなお、蠅は動かない。全く気付いていないのだ。もうそこから出られることに。透明ではあったが蓋が無い分、天から注ぐ光が少し明るくなったことにも気づかず、ひたすら寿命がなくなることだけを待ち続けて生きることをやめないでいる状態である。人のように自ら寿命を絶ったりはしないものの、どうして生きているのかわからない状態であることは容易に想像がつく。

ここで捕獲者はさらに、瓶を取り外す。底は抜いてあったから、彼にとっての地面は机で、瓶は透明な壁に見えていたのだ。その壁がいま取り払われた。しかし彼は動かなかった。そう、彼はもう、逃げるという選択肢:希望を無くしていたのだ。これが意味通り絶望の状態だ。本当はないはずでも、人はみな自分で気づかぬうちに様々な壁を作ってしまっている。それらの壁が消えてもなお、壁がなくなるかもしれないという発想そのものを忘れてしまい、そのまま何にも気づかずただ時間だけが過ぎていく。つまり、絶望に自覚などないのだ。何もかもを諦めてしまっている状態にすら気づいていない状態、救いの手が差し伸べられていることに気づけない状態、それが絶望なのだ。

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