理系が読書することも大事だと考える

2019-05-18 0 投稿者: akane-liu22

5月中旬、ちょっと暑いと感じる時があるかなくらいの季節が一番好き。花粉もないし、気分がいい。

僕は読書という作業が基本的には嫌いなんだけど、最近は夜寝る前に読む習慣をつけた。読んでこなかった理由は、集中力がなくていつも最後まで読み切れないのが嫌だから、だった。

読むようになった理由は、やっぱり大学在学中に本を読んでないのは理系としてマズいな、と思ったから。

とは言っても、大学に入ってから本当に全く読んでいなかったわけじゃなくて、ある程度メジャーどころは押さえてあった。古典的な発想に基づく、大学生が読むべき本であるデカルトやマルクス、プラトンとかはちゃんと読んだ。

いわゆるおすすめに入るような養老孟司とか、外山滋比古、内田樹なんかも何冊か読んだりした。あまり小説は読まなかった。

ドラマ見るのと変わらないなと思って、50年以上残りそうな小説を読もうと思ったがなかなか無かった。だから逆に昔の作品、カフカとかは読んだけど、それくらい。

それでこの間、自分思ったより読んでるなと思って家で読んだ本を積んでみたら20冊くらいしかなくて。5年間でこれかと思うと情けなくて、今からでも読もうと決めた。

ここで大事だなと感じるのは、理系として読書量が少ないことのダサさというか、ヤバさに気付けるかどうかだ。

高等教育として学士過程まで進んでいる人間が、専門が違うからと社会や歴史やサイエンス、文学や芸術を知らないというのは恐ろしいことだとわかっているかどうか。

そう、理系にとってはサイエンス以外のことは専攻ではなく教養として知っておくべきだということになる。さて、その最適な方法は何かというと、読書になるわけだ。

自分もたまに思うことがあるが、「この時代、わざわざ本なんか読まなくても情報はいくらでもネットに転がっているじゃないか」という意見がある。しかし、ネットじゃダメな理由が2つある。

①一般的に情報の価値が低い

本は一般的に多くの人から共通に認識されているものがあるけれど、ネットの情報ではそれが滅多にない。本と比べてみると「あのサイトの(あの出版社の)、あのライターの(あの作者の)、あの記事もしくは文章(本)は良かった」みたいなこと言っても、全然伝わらないわけだ。

価値のあるところに人が群がる、というのは史記が書かれた頃からの事実なわけで、群がってないんだから価値がないんだ。ゴッホの絵みたいに、当時は人が注目していなかった、なんてそういうパターンはネット情報にはまず無いだろう。

②文章が短い

ネットの文章は、短くないと読まれない。だからみんな短くまとめてしまう。そもそも短くまとめるから、書くのに時間もかからない。このループ。

つまり結局、ネット上にある文章に筆者が全力をかけた渾身の作品的なものはまず存在しない。あったとしても、途中でみんな読むのやめるから流行らない。そして短く書く。内容も薄いというか、少なくなる。このループ2回目。

こんな風に、ネットで得られる情報は質が必然的に落ちるわけだ。さらっと書かれた、さらっとした情報。

もちろんたくさんネットサーフィンしていれば、短い時間に得られる情報量は本のそれを凌駕するけれど、結局それは知識にはならない。知識と情報は全く別のもの。

というような、自分が手に取れる情報の種類と質、それによって得られる効果についてよく考えれば、理系の人間ならまず本を読むことの大事さがよくわかるはず。

変な意地を張らず、出来るだけインプットする情報は課金出来るのであれば課金して手に入れた方がいいと思う。電子書籍か紙かなんてかなりどうでもよくて、本になってるかどうかが大事だと思う。

理系でそういう人みてアホらしいなと思ってたから少し書いてみた。今日はこれで終わり。