働き方改革と人手不足

働き方改革…最近進んでますね。8割方良いことだと思うんだけど、残り2割は良くないことになりそうだよね。

それは、残業規制に伴う絶対業務完了数が減ることによる労働力不足からくる人手不足かな。

だって、今までは仕事量が多すぎて間に合わないから残業してたのに、残業時間が減ったら仕事を処理出来なくなるに決まってる。もちろん、正規の時間を残業ありきでぐだぐだ働いてたから、案外1時間分くらいならコアタイムに集中すれば何とかなる、みたいな側面はあるだろうけどw

そう、それで、仕事を回すための手が足りなくなったけど、残業させられないので困った企業の叫びは、「人手不足!」だ。そりゃそうでしょ。

まともな企業であれば、今まで残業代として配ってた分もなくなるんだから、新たにその補填分の人くらいなら雇える可能性が高い。

だから最近の就活は、景気変動に関係なく売り手市場になる、考えてみれば当たり前だった。

そんな中、やっぱりみんな困っているのは、業務の効率化がなかなか難しいということだ。

効率化っていうのは極めて難しく、しかもプライオリティがあまり高くなかったので、残業でゴリ押ししてたくさん業務を片付けていたところが多かったと思われる。つまり、今まで面倒で手をつけてこなかったことに取り組まなければならない。

それこそ、普段の業務量が減ったわけでもないのに、管理職側が率先的に勤務時間を減らしながら会社全体で効率化を図らなければならないので、すっごい大変そう。結局、あちらを立てればこちらが立たぬので、何かやることを減らさなければならない。効率化ってなんだったんだろうってなるよね、大変だ。

最近、考えることがたくさんあったから連日で更新できたけど、ブログ用のアイデアが尽きてきたから更新減りそう。

謝れない大人ほど格好悪い存在は無い

こんにちは。意図せず毎日書いてしまっている。今まで通学時間にやってたゲームをお預けにして電車で書いてるからだと思う。

身の回りの大人の言動について、よく観察を続けると子どもながらに、

「謝れない大人」

の存在に気づく。自分が間違えたときに、自分でカバーする発言はするけれど、間違いを素直に認められない不思議人間。

こういう人って、他人が間違えたり迷惑をかけた時には謝らせないと気が済まない場合が多そう。

例えば10時までに何かをやってくれと頼まれたけれども間に合わず、10時半に終わったことを後になって報告したとする。

当然、命令者当人には10時までにやって欲しい理由があったはずなので、それが達成されなかったと担当者に怒る。

担当者は事後報告だったのもあって、咄嗟に謝り、次から気をつける旨を伝える。よくある話だと思う。

これが謝れない人間だと、たいてい上の人が多いけれど、遅れたことを指摘するとえらい剣幕で逆ギレされる。こっちだって忙しかったんだから少しは気を使え、とか、仕方ないだろう、お前にはそういう時は一切ないのか?などと言ってくる。

遅れた時はカバーするものだろう、何を偉そうに、みたいに言う人、本当にいる。これは仕事が遅れた時の例だけど、ミスはもっと種類があるから、それぞれの出来事でも絶対に謝らない。むしろ怒られる。

…結構それは本格的に格好悪くない?目指してはならない上司姿ナンバーワンだろう。

素直に謝るのが先だろう。遅れてすまない、次からは気をつけるが、こっちも忙しいので出来れば頼む前に時間の相談をしてくれると助かるんだが。なら、頼んだ側が許せない気持ちになることは少ない。

何故これが出来ない人間がいるのか謎。こないだ読んだコンビニ人間の主人公の方がまだマシというか。コミュニケーション能力というか、相手を気遣う気持ち、隣人愛的な心が相当に欠如していないとこんな言動は取れないと思うんだけど。

そういう人は、そんな猿山の大将みたいなの気取って楽しいなら好きにすればいいと思わなくはないが、こっちは嫌な気持ちなので、やめて欲しい。

子どもならほっとけば良いが、大人はそういうの卒業してほしい。持つべきプライドは、部下に下手に出ないことではなく、部下にも下手に出られることに変えたら良いと思うな。

身の回りにそういう大人がいる人は、できるだけ距離を取った方がいいね。僕はそういう人を変えられたら何て素敵だろうと思うようにしてるけど、限界あるからやっぱり距離取りたくなる時が多いな。

まぁ何より、そんなろくでもない大人にならないようにしないとなぁ。

昨今は何かとタイトルが長い

こんにちは。忙しすぎてしんどいです。選べる出来ることがなく、出来ることを限界までやってる感じ。

これみんな思ってるんじゃないかと思うんだけど、最近、

何かとタイトルが長いもの、増えてない?

タイトルが長い代表例はやっぱり、各小売業社のプライベートブランド商品でしょう!いかにもな例を挙げてみる。

・石垣島の塩で味付けしたポテトチップス

・炒め油香るチャーハン

・ほろにがココアのクッキーサンド

ここまでがセブンプレミアム。次からファミマのやつ。

・カカオ風味豊かなチョコもちアイス

・カレーによく合う国産野菜の福神漬け

・やわらか身厚の薫製さきいか

だいたいこのような感じ。すごくない?形容詞的な修飾語が長すぎる。これは基本的に、プライベートブランドの質が良いかわからない黎明期、こういった言葉でいかにもちゃんとしてます!という雰囲気を出したかったんだろうなとは思う。

だがしかし、もっと前から長いタイトルをつければよく見える、つまり、石垣島の~とつけた方が、ただのポテトチップスよりも魅力的に見える、というような論理で名前が長くなり始めたものがある。それは、

AVのタイトル

間違いないでしょう!最近のものはタイトルでシチュエーションも全部説明しちゃってるじゃないですか。

昔のことは知らないから適当に書くけど、前はきっと、ジャンルさえわかれば良いようなタイトルがついていたんだと思う。しかし今はすごい。

昨今の長すぎるタイトルをまとめてくれている、しかもアフィリエイトじゃない極めて良心的な個人ブログを見つけたので、貼っておきます。

ということで、僕は絶対、ものの名前が長くなり始めたのはAVのタイトルからだろうなぁと思う。各社プライベートブランドがその真似をしていると思うと面白いよね。不本意だったとしても、結果としてやってることが同じで面白い。

理系が読書することも大事だと考える

5月中旬、ちょっと暑いと感じる時があるかなくらいの季節が一番好き。花粉もないし、気分がいい。

僕は読書という作業が基本的には嫌いなんだけど、最近は夜寝る前に読む習慣をつけた。読んでこなかった理由は、集中力がなくていつも最後まで読み切れないのが嫌だから、だった。

読むようになった理由は、やっぱり大学在学中に本を読んでないのは理系としてマズいな、と思ったから。

とは言っても、大学に入ってから本当に全く読んでいなかったわけじゃなくて、ある程度メジャーどころは押さえてあった。古典的な発想に基づく、大学生が読むべき本であるデカルトやマルクス、プラトンとかはちゃんと読んだ。

いわゆるおすすめに入るような養老孟司とか、外山滋比古、内田樹なんかも何冊か読んだりした。あまり小説は読まなかった。

ドラマ見るのと変わらないなと思って、50年以上残りそうな小説を読もうと思ったがなかなか無かった。だから逆に昔の作品、カフカとかは読んだけど、それくらい。

それでこの間、自分思ったより読んでるなと思って家で読んだ本を積んでみたら20冊くらいしかなくて。5年間でこれかと思うと情けなくて、今からでも読もうと決めた。

ここで大事だなと感じるのは、理系として読書量が少ないことのダサさというか、ヤバさに気付けるかどうかだ。

高等教育として学士過程まで進んでいる人間が、専門が違うからと社会や歴史やサイエンス、文学や芸術を知らないというのは恐ろしいことだとわかっているかどうか。

そう、理系にとってはサイエンス以外のことは専攻ではなく教養として知っておくべきだということになる。さて、その最適な方法は何かというと、読書になるわけだ。

自分もたまに思うことがあるが、「この時代、わざわざ本なんか読まなくても情報はいくらでもネットに転がっているじゃないか」という意見がある。しかし、ネットじゃダメな理由が2つある。

①一般的に情報の価値が低い

本は一般的に多くの人から共通に認識されているものがあるけれど、ネットの情報ではそれが滅多にない。本と比べてみると「あのサイトの(あの出版社の)、あのライターの(あの作者の)、あの記事もしくは文章(本)は良かった」みたいなこと言っても、全然伝わらないわけだ。

価値のあるところに人が群がる、というのは史記が書かれた頃からの事実なわけで、群がってないんだから価値がないんだ。ゴッホの絵みたいに、当時は人が注目していなかった、なんてそういうパターンはネット情報にはまず無いだろう。

②文章が短い

ネットの文章は、短くないと読まれない。だからみんな短くまとめてしまう。そもそも短くまとめるから、書くのに時間もかからない。このループ。

つまり結局、ネット上にある文章に筆者が全力をかけた渾身の作品的なものはまず存在しない。あったとしても、途中でみんな読むのやめるから流行らない。そして短く書く。内容も薄いというか、少なくなる。このループ2回目。

こんな風に、ネットで得られる情報は質が必然的に落ちるわけだ。さらっと書かれた、さらっとした情報。

もちろんたくさんネットサーフィンしていれば、短い時間に得られる情報量は本のそれを凌駕するけれど、結局それは知識にはならない。知識と情報は全く別のもの。

というような、自分が手に取れる情報の種類と質、それによって得られる効果についてよく考えれば、理系の人間ならまず本を読むことの大事さがよくわかるはず。

変な意地を張らず、出来るだけインプットする情報は課金出来るのであれば課金して手に入れた方がいいと思う。電子書籍か紙かなんてかなりどうでもよくて、本になってるかどうかが大事だと思う。

理系でそういう人みてアホらしいなと思ってたから少し書いてみた。今日はこれで終わり。

悪いことは立て続けに起こる

こんにちは。就活おわりました。3社しか受けなかったんだけど、すごく苦労したから真面目に取り組む姿勢が足りなかった3月の自分をすこし反省。

どうでも良いんですが、悪いことって立て続けに起こる気がするんだよね。よくも悪くも、人生で気運の上昇下降ってあると思う。

というのは、例えば一般的によく聞くのは、身内に不幸があったとき。

あるとき誰か、身内の人間に不幸があると、直近5年くらいは全く無かったのに、その後半年くらいでバタバタと2~3人倒れてしまうことっていうのはよくありそう。

よくありそうというか、体感だけど、自分の親族はそんな感じな気がする。どうも、一人倒れると絶対に2人以上続いている気がする。

さてそんな中、別に亡くなるレベルじゃなくても、不幸みたいなものって続くことが多いわけで。

自分が一番ツイてないなと思ったのは去年の1月ごろかな。もう何もかもうまくいかなかった。研究は怒られ、彼女に振られ、友人のPCを壊してしまい、何もかもダメだった。どこに行っても不幸だと感じた。

割とこういうケースは、不幸だと思いこんでいる自分にも原因があったりする。だから、ある程度、不幸が短期間に多発することの説明がつく時はある。

とはいえ、身内の不幸が続くのはどうも説明がつきづらい。芸能界見てても、去年の樹木希林とこないだの内田裕也のニュースを見ても、あぁ、続くんだな、これはやはり気持ちの持ちようの問題か?なんて思ったけど、違う気がする。病は気からと言えど…。

やっぱりこういうものの理由をちゃんと考えてみると、論理的な解答は思いつかなくて、結局、スピリチュアルな結論に行き着いてしまう。そして、状況打破のために御祓いにいくわけだ。

確かに昔、去年の1月とは別の機会に何かよくないことが立て続けに起こったから御祓いに行った事がある。そうしたら、ぴたっとこれまで続いていたことが急になくなった。不思議。

気の持ちよう、という問題は確実にある。だけど、外的要因でどうにもならない時が続くときは御祓いをすれば直る。不思議な世の中…。