理系が読書することも大事だと考える

5月中旬、ちょっと暑いと感じる時があるかなくらいの季節が一番好き。花粉もないし、気分がいい。

僕は読書という作業が基本的には嫌いなんだけど、最近は夜寝る前に読む習慣をつけた。読んでこなかった理由は、集中力がなくていつも最後まで読み切れないのが嫌だから、だった。

読むようになった理由は、やっぱり大学在学中に本を読んでないのは理系としてマズいな、と思ったから。

とは言っても、大学に入ってから本当に全く読んでいなかったわけじゃなくて、ある程度メジャーどころは押さえてあった。古典的な発想に基づく、大学生が読むべき本であるデカルトやマルクス、プラトンとかはちゃんと読んだ。

いわゆるおすすめに入るような養老孟司とか、外山滋比古、内田樹なんかも何冊か読んだりした。あまり小説は読まなかった。

ドラマ見るのと変わらないなと思って、50年以上残りそうな小説を読もうと思ったがなかなか無かった。だから逆に昔の作品、カフカとかは読んだけど、それくらい。

それでこの間、自分思ったより読んでるなと思って家で読んだ本を積んでみたら20冊くらいしかなくて。5年間でこれかと思うと情けなくて、今からでも読もうと決めた。

ここで大事だなと感じるのは、理系として読書量が少ないことのダサさというか、ヤバさに気付けるかどうかだ。

高等教育として学士過程まで進んでいる人間が、専門が違うからと社会や歴史やサイエンス、文学や芸術を知らないというのは恐ろしいことだとわかっているかどうか。

そう、理系にとってはサイエンス以外のことは専攻ではなく教養として知っておくべきだということになる。さて、その最適な方法は何かというと、読書になるわけだ。

自分もたまに思うことがあるが、「この時代、わざわざ本なんか読まなくても情報はいくらでもネットに転がっているじゃないか」という意見がある。しかし、ネットじゃダメな理由が2つある。

①一般的に情報の価値が低い

本は一般的に多くの人から共通に認識されているものがあるけれど、ネットの情報ではそれが滅多にない。本と比べてみると「あのサイトの(あの出版社の)、あのライターの(あの作者の)、あの記事もしくは文章(本)は良かった」みたいなこと言っても、全然伝わらないわけだ。

価値のあるところに人が群がる、というのは史記が書かれた頃からの事実なわけで、群がってないんだから価値がないんだ。ゴッホの絵みたいに、当時は人が注目していなかった、なんてそういうパターンはネット情報にはまず無いだろう。

②文章が短い

ネットの文章は、短くないと読まれない。だからみんな短くまとめてしまう。そもそも短くまとめるから、書くのに時間もかからない。このループ。

つまり結局、ネット上にある文章に筆者が全力をかけた渾身の作品的なものはまず存在しない。あったとしても、途中でみんな読むのやめるから流行らない。そして短く書く。内容も薄いというか、少なくなる。このループ2回目。

こんな風に、ネットで得られる情報は質が必然的に落ちるわけだ。さらっと書かれた、さらっとした情報。

もちろんたくさんネットサーフィンしていれば、短い時間に得られる情報量は本のそれを凌駕するけれど、結局それは知識にはならない。知識と情報は全く別のもの。

というような、自分が手に取れる情報の種類と質、それによって得られる効果についてよく考えれば、理系の人間ならまず本を読むことの大事さがよくわかるはず。

変な意地を張らず、出来るだけインプットする情報は課金出来るのであれば課金して手に入れた方がいいと思う。電子書籍か紙かなんてかなりどうでもよくて、本になってるかどうかが大事だと思う。

理系でそういう人みてアホらしいなと思ってたから少し書いてみた。今日はこれで終わり。

悪いことは立て続けに起こる

こんにちは。就活おわりました。3社しか受けなかったんだけど、すごく苦労したから真面目に取り組む姿勢が足りなかった3月の自分をすこし反省。

どうでも良いんですが、悪いことって立て続けに起こる気がするんだよね。よくも悪くも、人生で気運の上昇下降ってあると思う。

というのは、例えば一般的によく聞くのは、身内に不幸があったとき。

あるとき誰か、身内の人間に不幸があると、直近5年くらいは全く無かったのに、その後半年くらいでバタバタと2~3人倒れてしまうことっていうのはよくありそう。

よくありそうというか、体感だけど、自分の親族はそんな感じな気がする。どうも、一人倒れると絶対に2人以上続いている気がする。

さてそんな中、別に亡くなるレベルじゃなくても、不幸みたいなものって続くことが多いわけで。

自分が一番ツイてないなと思ったのは去年の1月ごろかな。もう何もかもうまくいかなかった。研究は怒られ、彼女に振られ、友人のPCを壊してしまい、何もかもダメだった。どこに行っても不幸だと感じた。

割とこういうケースは、不幸だと思いこんでいる自分にも原因があったりする。だから、ある程度、不幸が短期間に多発することの説明がつく時はある。

とはいえ、身内の不幸が続くのはどうも説明がつきづらい。芸能界見てても、去年の樹木希林とこないだの内田裕也のニュースを見ても、あぁ、続くんだな、これはやはり気持ちの持ちようの問題か?なんて思ったけど、違う気がする。病は気からと言えど…。

やっぱりこういうものの理由をちゃんと考えてみると、論理的な解答は思いつかなくて、結局、スピリチュアルな結論に行き着いてしまう。そして、状況打破のために御祓いにいくわけだ。

確かに昔、去年の1月とは別の機会に何かよくないことが立て続けに起こったから御祓いに行った事がある。そうしたら、ぴたっとこれまで続いていたことが急になくなった。不思議。

気の持ちよう、という問題は確実にある。だけど、外的要因でどうにもならない時が続くときは御祓いをすれば直る。不思議な世の中…。

「コンビニ人間」を読んだ感想

確か155回目の芥川賞を受賞した村田沙耶香さんの「コンビニ人間」を読んだ。夜中の1時に読み始めて、1時半くらいにやめるつもりが、ハマってしまい2時までかけて読み切ってしまった。

読んでから、感想を書かずには居られないと思いながら寝た。起こす行動には冷静な判断が出来たが、気持ちは穏やかでなかった。

読みながら、「私は空っぽなの」と、ある時の彼女に言われた事を思い出していた。彼女もまた、自分の個性は社会に適応しづらい、生きづらいと感じていて、普通であろうとしていた人だった。だけど、彼女の気持ちは今ならわかる部分もある気がする。

コンビニ人間の主人公の気持ちは、自分には微塵もわからなかった。何なら、キーパーソンである別の男の気持ちもわからなかった。共感度ゼロのキャラなんて滅多にいないので、新鮮だった。

主人公は、本当に空っぽの人間で、感情が完全に抜け落ちている。本では言及されていなけど、恐らく趣味も無く、好きな音楽なんていうのも存在しないんだろう。

ただ生きているだけのコンビニバイト、という感じ。ただ生きているだけ。この、ただ生きているだけっていう言葉を体現することが、どれだけ空虚かを感じた。

そう考えると、人間ってただ生きているだけ、にならないようにもがいているんだなと改めて思った。普通であることがどれだけ苦労することか、しかしそれが、どれだけ人間らしい苦労か、ということを考えさせられる、良い作品だったと思う。

とりあえず心がざわざわする。ホラーを読んだ後のような気分。村田沙耶香ヤバいわ。

履歴書を手書きで求める企業の気持ちがわからない

こんにちは、就活シーズンですね!

就活をしていると、往々にして、履歴書の提出を求められる事がありますね。

なぜ、マイナビやリクナビだったり、はたまた企業ごとのマイページで結局、履歴書に書くような事はすべて就活生の皆さんは書かされているのにも関わらず、履歴書を改めて出さなければならないのか。エントリーシートとは何だったのか。

企業側からしたら、今まで書いてもらった情報をまとめて見ればそれで事足りるはずなのに、なぜそれをしないのか、不思議でならないよね。

っていうか、そもそも印刷物でのエビデンスが欲しい気持ちは全くもって理解しがたいな。どうしても欲しけりゃ、データあげるから自分で印刷してくれ。

何で彼らがそうしないのか少し考えたんだけど、結局はマイページのようなシステムって外注で出来ているから、カスタムして情報取り出すのが難しいんじゃないか?もしこんな理由で毎年何万人もの就活生の時間が奪われているのだとしたら、くだらなくてくだらなくて…。

100歩譲って、履歴書の提出を求めるところまでは理解できるけれど、手書き指定で書かせる企業の意図は理解不能だよね。意味不明でしょ。

なに?何を求めてるの?前時代的、という言葉以外に形容できる表現が見あたらない。

そして、それに引っ張られて、履歴書の提出を求められた時、手書きかどうか迷う人が多数いて、それも理解できない。

万が一、手書き指定がないかどうか入念にチェックするのもわからない。こんなことを言いながら、僕は少し前まで不安に思ってたんだけど、結論としては、印刷以外にあり得ないだろう、ということになった。

逆に考えると良いと思う。何故、手書きじゃないといけないのか。え、なに、履歴書は手書きで、研究内容の概要みたいなのは印刷にするの?え?え?研究の概要には気持ちがこもってないの?え?

論理的に説明がつかず、ロジックじゃない理由、たとえば「まぁ気持ちはわかるな~」みたいなのがあるわけでもないのに、未だに手書きを強制する企業はマジで意味不明、というお話でした。

マジで意味不明です。就活生に対してここまで理不尽な態度をとって、新卒になったらどんなひどい目に合うんだろうか。どんなサービスを客にぶつけているのだろうか。気になりますな。

SPIの対策本とかあるけど、国語の単語テスト以外やっても無駄な作業をさせて稼ぐのって気持ちの良い商売じゃないと思う

こんにちは。就活関連でもう一つ思うことが。

それは、SPI対策本!の存在ですね。

いや、まぁ確かに勉強にはなる部分が十分にある。単純に、論理的な思考能力や、基礎的な数学的思考能力を鍛えようとか、そういった意味では良い教材になっているのかもしれない。

しかし、SPIの対策としてはどうなんだ、という話。SPIってそもそも、何なんだという方はこちらの、SPI主催者であるリクルートのサイトでも見てください。まぁ、性格検査とIQテストですよね。

自分はIQテストとかめっちゃ得意で、ICUとかも簡単に受かった覚えがあるんだけれど、その時も、対策本って意味がないよなぁと思っていた。そう、今回の、SPIのサイトにはなんと、主催者リクルートが直々に、

能力検査は、漢字をたくさん暗記したり、数学の公式を使えたりすればいいというものではありません。

出てきた問題を正しく理解し、処理することが求められるテストですから、付け焼刃で対策をしても、得点結果はさほど変わらないことが実証されています。

それよりは、本番で自分の実力をきちんと出せるように、受検方法や形式に慣れておくことが重要です。

適性検査「SPI」とは?テスト内容やポイントを解説【体験版あり】

なんて書いちゃってて、対策本なんかやっても意味ねーよバーカ!みたいな主張がされている。つまり、主催者としては、出来るだけその人のポテンシャルを測るための試験ですよということをマイルドに主張しているわけた。

なのに、対策本をやればめっちゃ取れるみたいに大げさに宣伝して、みんながそれを買っている構図、それに踊らされている構図を見ると、悲しくて悲しくてやりきれない。なんだろう、そういう、教育目的じゃなくて、あからさまに、人の弱みに付け込む金儲け目的な本が売れているのはいただけない。

とは言っても、確かに単語テストは難しくてwちょっと勉強しようかなって思った。こういう蓄積型の知識を身につけることは悪くないと思う。ただ、問題は計算問題、君だよ。

計算問題とか、図形とか算数的な論理問題とか、練習しても全く意味がない気がする。わからんけど。少なくとも付け焼刃で間に合うものじゃないし、めっちゃポテンシャルが問われる気がする。

というのも、とにかくSPIは時間制限が厳しかった。普通に受けてたけど、おそらくその辺の受検生よりは良い成績を取れたと思うんだけど、それでも最後まで終わらなかった。最後まで終わらなくて良い時点でIQテストなのが確定してるし、そんなんでIQ上がるんだったら人類は苦労しない。

ということで、とにかくああいう対策本の存在が気に入らない。そんな本の売り上げで食べるご飯はおいしいか。そうか。資本主義、そんなものか…。